藻谷氏が見た経済急成長直前のミャンマーの生き様
ミャンマー・ヤンゴン編(2)
19世紀末には英国の植民地に
ミャンマーを建国したのは、10世紀に中国の雲南から南下してきたチベット系の民族だった。
中国の五胡十六国時代に?(てい)と呼ばれた集団の末裔(まつえい)とされる。
その後スリランカから伝来した仏教を奉じ、18世紀半ばには隣国タイのアユタヤ王朝(タイ人も同じく雲南から南下した別系統の民族)を滅ぼして、インドシナに覇を唱えた。
だが、18世紀末にインド(当時英国領)にまで侵攻したのがあだとなり、その後産業革命を成し遂げて富強となった英国に19世紀半ばに逆に攻め込まれ、19世紀末にはついに完全に英国の植民地にされてしまう。
第二次大戦時には今度は日本軍に占領されたが、戦後、英雄・アウンサン将軍の指揮の下で再独立を果たした。
しかし将軍の暗殺後、半世紀以上続いた鎖国志向の軍政の下で経済は徹底的に立ち遅れる。
ライバルのタイに1人当たりGDPで5倍近い差をつけられた今、将軍の娘であるスーチー大統領顧問の下で、巻き返しは図られるのだろうか。
ロヒンギャ排除の民族浄化路線には無理がある
ミャンマーは、ASEAN諸国の中でも特異な地政学上の位置にあり、そこにはリスクとチャンスがある。
まずは、ASEANの西端にあってインド亜大陸に隣接すること。
ミャンマーの人口は5000万人強だが、隣国のバングラデシュと、インドから飛び地のように張り出したアッサム周辺地域には、合わせて2億人が住んでいる。
過去いずれかの時点でそちら方面から流れ込んできた民の子孫がロヒンギャであり、ムスリムであるからだろう、仏教国ミャンマーの国籍を付与されず、居住地からの追放などの人権弾圧を受けている。
しかしそれは、ミャンマーよりやや所得水準の高い点で潜在的大市場でもあるムスリム国・バングラデシュを敵に回す行為だ。
ASEAN内のムスリム大国として合計3億人近い人口を擁するインドネシアやマレーシアをも怒らせている。
だが人権弾圧をやめてこれら諸国と融和し、輸出産業を発展させれば、いずれバングラデシュと経済水準が逆転し、同地からムスリム労働者の新たな流入が起きるだろう。
要するに、ロヒンギャを排除する民族浄化路線には、いずれにせよ無理があるわけだ。
中国とインド洋に挟まれた国の賢い生き方とは
今一つは、ASEANの中で唯一、中国とインド洋に挟まれているということ。
2015年には、雲南からミャンマー北西部を縦断してインド洋につながる石油パイプラインが完成し、さらには鉄道建設の計画もある。
中国にしてみれば、中東産油国やアフリカの資源地域と自国を結ぶ物流動線を、親米国のインドネシア、シンガポール、マレーシアに挟まれたマラッカ海峡を通らずして確保することには、大きな意義があるのだ。
だが人権問題を意に介さずミャンマーの軍政を支援してきたツケで、当国民の対中感情はよろしくなく、欧米の支持を得ての民政移管後の見通しは不透明だ。
しかしスーチー政権とてお金は欲しいわけで、米国や日本と中国をてんびんにかけつつ、この地政学的位置から最大限の利益を引き出そうとするだろう。
いずれにせよミャンマーが、今の状態にとどまっていることはありえない。
今後ものすごい速度で開発と生活水準底上げと格差拡大が進むのは確実だ。
嵐の前の姿を目に焼き付けつつ、講演のためにシンガポールへと出国する。(ミャンマー・ヤンゴン編、終わり)